2021年の第63回日本レコード大賞新人賞に輝いた演歌歌手の望月琉叶(もちづきるか)さん。
アイドルグループ「民族ハッピー組」のメンバーとしてもご活動されている女性ですね。
今日はそんな彼女の下記についてご紹介していこうと思います。
意外なお話がたくさんありました。
それでは早速、ご紹介していきたいと思います。
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望月琉叶が演歌歌手を目指した理由は母親の影響?
本日私、望月琉叶演歌歌手としてデビュー致しました!今まで支えてくださったEGファンの皆様、メンバー、社長、スタッフ、関係者の方々、本当に感謝しか御座いません。これからも精一杯頑張りますので、民族ハッピー組と共に応援の程宜しくお願いします!
デビュー曲「失恋慕情」沢山聞いて下さいね🙇♂️ pic.twitter.com/cwqF1DyIQm— 望月琉叶【民族ハッピー組】 (@lucachi_hpp) July 22, 2020
結論から言うと、望月琉叶さんが演歌歌手を目指した理由は母親の影響+昭和歌謡や演歌などの音楽が好きという思いでした。
望月琉叶さんが過去のインタビューで下記のようにお話されています。
母が演歌歌手になるのが夢で、本格的に目指したらしいんです。でも、かなわなくて、私は小さい頃から「音楽で食べていってほしい」と言われていました。無理やりじゃなく、私も音楽は大好きなので。とくに昭和歌謡や演歌は小さい頃からよく聞いていて、なじみがあって好きでしたね。
望月琉叶さんが所属するアイドルグループ「民族ハッピー組」。
このグループは元々「演歌女子ルピナス組」として演歌を世界に発信するよう活動されていました。
そのため、メンバーであった望月琉叶さんが演歌歌手としてデビューされたことは不思議ではありません。
ただ、そもそも何故その道に進んだんだろう?と思っていたのですが、その謎が解けましたね。
望月琉叶は元々アイドル志望じゃなかった?
結論から言うと、望月琉叶さんは元々アイドル志望ではないです。
過去のインタビューで下記のようにお話されています。
高校1年から、オーディションを受け始めました。でも、合格してみると、ソロ歌手じゃなくて「アイドルグループでどうか」と言われることが多く、「違うな」と感じて活動はしていませんでした。大学4年の夏になって、もう生命保険会社への就職内定もいただいていたんですけど、代官山でお友達の誕生日プレゼントを探していたらスカウトされ、「やってみよう」と。今、10人組アイドルグループ「民族ハッピー組」で活動しているんですけど、当時のグループ名は「演歌女子ルピナス組」といって“演歌を世界へ”という世界観をもっていて、そこにひかれました。それで、アイドルグループではありましたけど、メンバーに加わりました。
高校生時代からオーディションを受けはじめ、何度か合格されていたんですね。
まず、この点に驚きました。
でも、グラビアが人気になるほどの抜群のスタイルとかわいいルックス。
そう考えると、合格していない方が不思議と言える気がしますね。
そして、アイドルグループのメンバーとしての合格だったから断っていたという点も驚きです。
このことから、元々アイドル志望ではなかったことが分かります。
そんな彼女が最終的には演歌への思いでアイドルとなるのも驚きですね。
また、生命保険会社への内定を辞退してまでアイドルとなったことも驚きです。
今後も演歌歌手としてだけでなく、アイドルグループのメンバーとしても頑張ってほしいですね。
#第63回日本レコード大賞 新人賞を受賞した #望月琉叶 さんが所属し、名古屋観光文化交流特命大使でもある #民族ハッピー組 の皆さんが名古屋市役所を訪問しました!!#遠矢るい #永井杏樹 #鐵うの #馬渕恭子 #椎原えみ #水元ありか #小泉里紗 #日本レコード大賞新人賞 pic.twitter.com/oe56rKOinO
— 読売新聞中部支社編集センター (@chubu_yomi) December 23, 2021
望月琉叶の母親はどんな人?
望月琉叶さんが演歌歌手を目指した理由の1つで、きっかけとも言える母親。
一体どんな方なんだろう?と思ったのですが、名前や年齢などプロフィール関連のお話は分かりませんでした。
ただ、先ほどご紹介した通り、昔は演歌歌手を夢見ていたそうですね。
そして、望月琉叶さんの両親(父親/母親)は美容室を経営されているそうです。
望月琉叶さんが過去のウェブインタビューでお話されていました。
望月琉叶が演歌歌手を目指した理由まとめ
・最初から演歌歌手志望で、アイドル志望ではない
・母親の名前や年齢などプロフィールは不明だが、夫と一緒に美容室を経営している
という感じですね。
これからも演歌歌手として、アイドルとして、頑張ってほしいと思います。
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