テレビで大活躍のご婦人タレント「デヴィ夫人」。
自由奔放な性格でお茶の間の視聴者を楽しませてくれる親しみのある方ですね。
しかし、そのデヴィ夫人は凄い人なんです。
今回は彼女の正体や経歴についてご紹介してまいります。
それでは早速お話してまいりましょう。
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デヴィ夫人の正体
デヴィ夫人の正体は元インドネシア大統領夫人です。
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— おしゃれクリップ【公式】 (日本テレビ) (@oshare_clip_ntv) December 18, 2022
2022.12.18 pic.twitter.com/khBvYoDkrr
デヴィ夫人は波乱万丈な人生を歩んできました。
戦争を経験して、小さい頃は非常に貧困で苦労した生活を送っています。
様々な努力の末、会社勤めや女優業の仕事をするようになりました。
その中で、ある人のお世話役も務めるようになります。
ある時、そのお世話をしていた方に連れられ、世界中のVIPが集う社交クラブに行きました。
そこで出会ったのがインドネシアのスカルノ元大統領でした。
そして、スカルノ大統領と社交クラブで出会った3か月後。
「2週間ほどインドネシアに遊びにいらっしゃい」とアプローチを受けます。
それを受け入れたデヴィ夫人は、スカルノ大統領の姿をみて、プロポーズも受けることになりました。
スカルノ大統領からは「私のインスピレーションとなってください。私の力の根源となり、人生の喜びとなってください」と言われ、最高に美しいプロポーズで感動したそうです。
このような経緯で、デヴィ夫人はインドネシア大統領夫人となりました。
デヴィ夫人の凄さとは?
デヴィ夫人「きれいでピチピチして英語ができた」 スカルノ元大統領との運命の出会いを告白#日テレNEWS #デヴィ夫人 #山崎育三郎 #井桁弘恵https://t.co/xrRYpzMBUa
— 日テレNEWS・カルチャー (@ntvnewsculture) December 19, 2022
デヴィ夫人の凄さはどんな環境でも努力して生きぬいてきたバイタリティです。
先述したように、戦争で食べることさえ困難だった時代を乗り越えた経験をお持ちです。
苦労の末、勉強や労働、努力といったことを人の3倍はこなしてきています。
実際、家族を養うために女優の道を目指しながら、中学卒業後は会社に入社して働いていました。
仕事をしながら、定時制の高校へ通い、昼休みはアルバイト、女優業にも取り組む生活を送ります。
そして、大統領夫人となりましたが、しばらくするとインドネシアの政変が起こりました。
その影響で、フランスに亡命することになります。
そんな中でもへこたれることなく、我が娘のためにしっかりと生き抜いてきました。
デヴィ夫人は人生のインタビューを受けた際に「今のこの一分一秒が次々と過去になっていくのですから、そのときどきを精一杯楽しく生きたいのです。」とコメントされています。
苦労を乗り越えてきた彼女の底知れぬ明るさが伝わる言葉ですね。
さらに「あなた方は毎日、生活をしているんでしょう?私は毎日を生きているの」ともコメントされています。
そんなデヴィ夫人が凄いのは、衣装が派手とかキャラクターが強烈などではなく、こういったコメントが残せるほどのバイタリティをもって生きてきた背景があることでしょうね。
国籍は日本ではなくインドネシア?
デヴィ夫人の国籍は日本ではなく、インドネシアです。
先述したように、デヴィ夫人はインドネシアのスカルノ元大統領の奥さんでした。
19歳の時にご結婚され、しばらくは日本国籍のまま過ごされていました。
ただ、22歳の時にインドネシア国籍を取得しています。
これはデヴィ夫人の母親と弟を同時期に亡くしたことがきっかけだったそうです。
どうやら、デヴィ夫人がインドネシアの大統領夫人になったことで母親の元にマスコミが殺到したようですね。
執拗に取材が押し寄せたことで、体調を崩され、亡くなっています。
また、弟もマスコミの取材攻撃に追い詰められ、ガス自殺で亡くなったようです。
この出来事でデヴィ夫人は非常に悲しい思いをされています。
そして、日本への未練はなくなり、スカルノ元大統領に全身全霊を尽くすと決意されたそうです。
そこで、日本国籍を捨て、インドネシア国籍を取得されています。
元大統領夫人の現在までの経歴
デヴィ夫人の経歴は非常に波乱万丈で、苦労されてきたことが分かります。
幼少期は戦時中で、戦闘機からの空襲を受けていたようです。
小さい弟を背負った母親に手を引かれ、避難するという怖い日々を経験されています。
終戦後も貧困で、足が悪い母親に代わり、家族を支えると幼いながらに決意されたそうです。
そして、戦後は勉学に励みました。
画家としての才能もありましたが、家族を養うためには現実的に難しい。
そこで、女優になることも決意されたそうです。
中学卒業後は就職し、仕事をしながらアルバイト・定時制高校・女優業と多忙な生活を送ります。
その後、ある人の世話役を行うことになり、茶道や日本舞踊などの習い事にも励みました。
そして、社交クラブで出会ったスカルノ大統領と19歳の時に結婚します。
しかし、デヴィ夫人が27歳の時に起きたインドネシアの政変で、娘と共にフランスへ亡命しました。
その頃、非常に美しく知的なことから「東洋の真珠」と社交界で称えられていました。
その後、ニューヨークに移住して活動をされていたそうですね。
2000年頃から日本でテレビ出演など、タレント活動を行うようになりました。
このように、非常に波乱万丈な人生を歩まれています。
デヴィ夫人の正体や凄さまとめ
- デヴィ夫人の正体はインドネシアのスカルノ元大統領のご婦人。
- デヴィ夫人の凄さとはバイタリティをもって生きていること。
- 国籍はスカルノ元大統領に尽くすため、日本ではなくインドネシアに変えていた。
- 元大統領夫人の現在までの経歴は記事の通り非常に波乱万丈な人生。
このようなまとめになりました。
様々な番組を通じて私たちを楽しませてくれるデヴィ夫人。
親しみあるキャラクターですが、非常に苦労をされてきた方でした。
そんな苦労を乗り越えてきたからこそ、私たちにも共感できる部分があるのかもしれませんね。
これからもデヴィ夫人を応援しながら、私たちもバイタリティをもらっていきましょう。
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